明日は午前二時起床予定。埼玉県寄居の円良田湖で連日へらぶなが十キロ台釣れているとの情報が入ったので、ぼくのいる団地D地区の肉屋の番頭さんと出かける。血わき肉おどる。へらぶな釣りは本当に楽しい、思っただけでも口もとがしまらなくなるのです。
只今午後十一時、あと三時間。そういえば今夜のおかずは大好きな里イモの煮っころがしだった。この二、三日いい陽気だったな。今日は特に風もなく、おだやかで、″あったかーい三菱灯油″みたいな日だった。
猫の眼のように気まぐれよ ラララ
ニャーオ
あなたにだかれて私は蝶になるーん
ズンズンズンズントット
汽車の窓から手を握り送ってくれた人よりも
ホームのかげで泣いていた可愛いあの娘が忘らりょか
ズンズンズンズンズンズントット
「A・PLAY」なのだ、見るべし。
一本のフイルムに何回も写すのは、割合面倒なのだ。それほど期待できないのだ。ぼくのタメゴローはなかなか「アッ」とはおどろいてくれないのだ。
何をしたいかどうもはっきりわからないのだが、強いていえば風景の内なる過去と、今ぼくが生きていることの落差を暴力とやさしさに包んでしまいたいのだろうか。きのうこうだったのできょうこうだ、だからあしたはこうだろうという式のナチュラルな帰納法?を、あしたはどうでもよい自己の生への暴力として、犯罪の匂いを犬のように嗅ぎながら、肉体の腐蝕を乳剤に定着させる作業......。それにしても写真を写すのは、やはり面白いことなのだろうか。シャッターを切る単純な動作のなかに、プロフェッショナルな種種の欺瞞をこめた認識は、ぼくにとっての現実にはちがいないけれど、どうもうさんくさいから、写真家ではなく、むしろ無職のほうがふさわしくないか。それとも「へら師」かな。
このごろファッション写真家としていそがしい。写すことよりも洋服やアクセサリーを選んだり、モデ公に仏頂面させたりする手続きのほうが楽しい。ニコッと笑って可愛いこちゃんより、すこしかなしそうで病みあがりの風情が好ましい。
さてご存じ状況劇場は「少女都市」。昨年末十二月二十七、八日と撮影。塗りたくったフランケ醜態は磨赤児、ガラスの少女の李礼仙、唐十郎は連隊長、上海ママの四谷シモン、夜の渋谷金玉八幡宮、鳥居をくぐって紅のテントは立錐の余地なき超満員、大晦日近い寒空に若い熱気がゆれていた。
ダブっている風景は新宿と手賀沼干拓地。寒い朝の夜明けの太陽なのだが、太陽を握りしめたら手が溶けるだろう、手の記憶も今は溶けてしまって、忘れたと思ったあこがれだけが、チリのように漂って、オロオロとシドロモドロに居直るしか手はあるまい。